あの日からずっと。

2011年3月11日。僕はスタッフであり友人の裕介と一緒に九段下のジョナサンにいた。
その夜開催予定である某ライブの為《武道館》へと来ていた。

ライブまでの間時間潰しで訪れていたジョナサンは地下1階にあった。

突然の地震、普段とは異なる揺れ方、そして一向に収まらない揺れにその地下にいた誰もが異変を感じ、僕らの隣の席の女の子4人組はパニックで大号泣し過呼吸になっていた。

店内はレジへと急ぐ人々、レジに並ぶ長蛇の列と怒鳴り声と店員さんの「一組ずつお願いします!全員で一気に立ち上がらないで下さい!!」というアナウンスが響きわたっていた。

それから数十分後僕らは外に出て唖然とした。

街中がプチパニックなのだ。

止まらない救急車、鳴り止まないサイレンの音。
九段下の駅には溢れるほどの人。武道館でコンサートがあるってだけで1万人は居ると思う。


その後電車はストップし、帰る術をなくした僕と裕介は九段下から渋谷まで4時間かけて歩き、着いた渋谷では駅が封鎖され地下では人々が閉じ込められそのまま帰宅難民となった。




******

あの時僕はこんなブログを書いていた。
震災から2日後、2011年3月13日ブログ

続きはこちら。


そして、3月14日のライブが中止になった時の僕のブログ。

続きはこちら。

何を歌えばいいかわからなかった僕はライブが中止になったことに安堵し、後にこの状況の中で歌うことが出来ない自分と、歌うセットリストが組めないアーティストの自分に嫌気がさし、押しつぶされ10ヶ月もの休止期間に入りました。

見えないものへの恐怖と、体験したことない不安が混じり合って、アルバイトしながら見えない明日に不安を抱きながら歌っていた僕はとどめを刺すかのように不安に押しつぶされてしまいました。

自分の生活がままならないのに、義援金だとか支援だとか、応援だとか想いを届けるだとか
何よりも自分の未来への不安に負けてしまいました。

今思い返すとあの頃の《不安》や《恐怖》は目の前に起こった受け入れられないことではなくて【今度は僕らの番なんじゃないか】という恐怖だったのかもしれない。

僕自身大切な人がなくなったわけでもないし、友人や知り合いに何か起きたわけじゃないのに あんなに心が打ちのめされて、苦しくて歩くことが出来なかったのは、【次はお前の番だ】そんな見えない恐怖だったのかもしれない。

あれから9年。
今なら何が出来るだろう?
今なら何が歌えるんだろう?

そんなことを思いながら毎日過ごしているおかげであの頃より強くなれた僕がいます。



あの頃の後悔はきっと今の僕を作る一つの要素だったんだと思う。
今でも胸は痛いし、苦しいけれど、今度は、今は


歌いたい歌はたくさんある。そんな風に曲を書き貯めて来たんです。




小さいことの積み重ねがいつか大きな変化となる。

これだけは間違いない。





あれから9年。忘れられないことをずっと忘れない。
この先ずっと忘れない。大切なこと。

2020年3月11日 23時50分。
KAZU、谷口和広

10ヶ月の休止を終えこの歌とともに活動を再開した歌。

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