抱かれるよりも

ずっと気になっていた クリムト展 ウィーンと日本 1900 に行ってきました。

過去最大級と謳われたクリムト展ではクリムトが影響を受けた作品や日本美術も合わさり約120もの作品が展示されていました。

官能的な作品の中で やはり人気が出る理由がほんのすこしわかったような気がします。気がするだけ?

僕は昔から美術館などは凄く好きで 上京した頃は月に2.3箇所行っていて、その当時はとにかく自分の作品作りの糧にするべく全て飲み込んでしまいたい。そんな20代前半を送っていました。

それから 音楽で仕事が少しずつ増えてきて 駆け抜けた時期があったんですけど その頃からまた全く行かなくなってしまったんですよね。

これは忙しいからって理由だけで、忙しくなれたのは きっと色んな事が自分自身の糧になっていたおかげだってことにいまいち気づけなかったんですよね。

最近また色んなことに時間とお金を使えるようになってきたので 気になるものや、気になることには積極的に向かうことにしています。

ここでの目的は やっぱりまだ色んな事を知って自分自身を高めたいという向上心からなのです。

愛と官能の画家とまで言われたクリムトは この世に女性の乳房と尻がなかったら絵を描いていなかったかもしれない などと言っていたとかなんとか。

でも僕もそうかもしれないなと思ったんです。

女性がこの世にいなかったら音楽をしてなかったかも知れないし、やっぱり最初はモテたいから始まって、なんだったらその感覚は未だなんにも変わっちゃいない。

いつだって 愛がなんだとか恋がなんだとか言いながらも、やっぱり愛こそ全てだよなって思う時もあれば、なーんにもいらねーや。なんて思う日もあったり。

数え切れないほどのロマンスの中に、色んなメロディーをつけては勝手に主題歌や挿入歌を奏でたりする。

みんなが引いてしまうくらいロマンチストで自己中心的で、ナルシストなのだ。

昨日僕がみた作品で凄く好きだった作品は

・音楽の寓意のための下絵(オルガン奏者)

・丘の見える庭の風景

・オイゲニア・プリマフェージの肖像

など凄く好きで、もちろん 赤子やユディトⅠ、みたいなメジャー作品も凄かったんですけど やはり女性を描いている作品は物凄く素晴らしかったです。

クリムトが描く女性像はどの作品も凄く官能的で、なぜなんだろうと思っていた矢先 チャプター7での解説文の中にこんなニュアンスのことが記載されていました。(あくまでも僕なりの言葉ですが、)

高貴でありながら 社会的しきたりから欲求を押さえ込まれた女性を解放するように

解放するように絵を描いていたんだとしたら、描かれている女性達は もしかしたら抱かれるよりももっとずっと刺激的で全てを掴まれるような、そんな思いだったんじゃないだろうか。

そんな風に感じました。

解放されるその感覚、心を持っていかれるような感情。

やっぱり音楽も似てる。

なんて事ない日常から ほんの少しだけ解放せよ。ミュージックだって 力はあるぞ。

最後に僕の曲中でも特に官能的なこの歌を添えて。

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